WSJは、オバマ大統領来日前日の24日に、安倍首相の寄稿を掲載した。
どういう経緯で実現したのか分からないが、WSJ A11面のほぼ2/3ものスペースを割いて、安倍首相の寄稿を掲載している。議長として、 G7で議論したい重要議題をあげている。もっとも重要な議題は世界経済の活性化であるとする。そのためには、需要サイドではインフラ投資の活発化、供給サイドでは IT投資、女性の活用などによる効率性向上に注目し、自由貿易を維持することにより需要と供給をうまく結びつけることが重要としている。経済活性化以外の重要議題として、テロ、国際保健、国際海洋法をあげている。
(WSJ日本版に同様の記事が掲載されていたので、下記に借用させて頂きました。)
***** 以下本文 *****
5月26、27日にかけて開催されるG7伊勢志摩サミットは、G7 各国、そして世界にとって、これ以上にない重要なタイミングでの開催となる。
エルマウ・サミットからの1年間、世界は激動に見舞われている。世界経済見通しの不安定さや下方修正に加え、自然災害、シリア問題の深刻化や難民問題、欧州でのテロの発生などが不安定要因となっている。
今こそ、 日本、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、英国、そして米国のG7 の首脳たちが、自国はもとより世界全体が、こうした暗い雰囲気を拭い、経済成長と安定を推進すべき時である。サミットが開催される「賢島」は「 Island of Wisdom」を意味するということを述べておきたい。
自由、民主主義、法の支配、そして人権といった共通の価値は、これらの難題に立ち向かう G7が持つ強みである。今次サミットの焦点は世界経済の再活性化であり、金融政策に加え、構造改革の加速化、機動的な財政出動を、バランスよく、かつ協力しながら組み合わせていくことを目指したい。また、この G7 の機会に、インフラ、テロ、国際保健や国際海洋法といった主要な課題についても取り組みたい。
難題も多いが、希望の芽は随所にある。先ず、世界には大きなインフラ需要がある。途上国では、道路、港湾、通信などのインフラが必要である。一方、先進国においては質の向上に焦点を当て、老朽化したインフラのリハビリや環境重視型のインフラ導入が重要だ。
供給サイドに目を転ずると生産性の引上げが不可欠である。今後、先進国に限らず広がる高齢化対策、グリーン成長にも布石を打っておくべきだ。従って、 ITの活用拡大を含め、あらゆる面でイノベーションを促す投資が重要である。
生産性の引き上げのためには、性別、年齢、障害の有無にかかわらず、誰もが仕事や社会活動ができるようにしなければならない。特に、「女性が輝く社会」は、私の政策の柱であり、今回のサミットの議題の正面にも位置づけたい。
こうした、需要面と供給面が結びつくことが現在及び将来の経済成長に資するであろう。 G7として、自由貿易へのコミットを再確認したい。日本自身も、 TPPの早期発効及び参加国の拡大を求めるとともに、日 EU・EPA交渉の本年のできる限り早期の大筋合意を目指す方針に揺るぎはない。
これらの経済協定等において、自由かつ公正な競争を奨励しなければならない。また、貿易を歪め、過剰供給力を放置することになる行為への対応を議論したい。鉄鋼や石油製品などのコモディティ関連のダンピング、不公正な国内保護などにも対応していかねばならない。 G7として、腐敗、租税回避や脱税への対応も主導する。
世界がテロや暴力的過激主義に脅かされる中、世界経済の再起動に取り組むだけでは不十分である。テロへの対処のためには、経済、社会、教育面を含め、根本原因を取り除くための開発支援より焦点を当てる必要がある。中東地域にとどまらず、世界全体で、寛容で安定した社会を構築するための支援を強化しなければならない。伊勢志摩サミットでは、「 G7テロ及び暴力的過激主義対策行動計画」をまとめ上げる考えだ。
保健は先進国、途上国にかかわらず、繁栄を確かなものとするために不可欠なものである。 G7のリーダー達に、公衆衛生危機対応とともに、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジの促進を呼びかけたい。
また、航行の自由の確保も、経済成長はもとより、安定や平和の前提となる。残念ながら、すべての国がこのような考え方を理解しているわけではなく、現在、海洋における法の支配を揺るがし、現状を変更し、国際社会において緊張を高める一方的な行動がみられる。 4月に広島で採択した海洋安全保障に関する G7外相声明を基礎として、伊勢志摩では、開かれた自由で平和な海の維持への明確な支持を G7 首脳に求めたい。
G7は世界の平和と繁栄を牽引してきた。それはG7の経済規模の大きさによるだけではなく、価値を共有しているからである。困難な時代において、力を合わせて更なる繁栄軌道を定めるべく、議長として各国首脳との議論を主導できることを光栄に思う。