Monday, May 19, 2014

それは生きている:俳優は侍に斬られるキャリアを歩む【A1面】

第一面で、「ラスト サムライ」にも出演した斬られ役の第一人者で、「5万回斬られた男」とも呼ばれる福本清三が紹介されている。彼が、初主演を務める映画「太秦ライムライト」、そこで主演女優役のカンフー美少女山本千尋、更には時代劇不人気による太秦撮影所の衰退まで取り上げられていて、面白い。

まず、前半部分を翻訳した。
「福本清三は、50年以上、日本刀で、刺され、切りつけられ、切り倒されてきた。」
「彼は、『切られ役俳優』の第一人者の一人だ。切られ役とは、映画やテレビドラマの時代劇で主役の侍に切られることを専門とするスタントマンのことだ。」
「本物の切られ役は、見ている人をすくませることが出来る人のことです。『あの人大丈夫?と視聴者に言わせることが出来る人です。』と福本さんは言う。」
「71歳になるこの役者は、15歳のときに役者業を始めた。そしてすぐに、敵役を演じることに魅せられた。彼は、夜、布団の上で、チャンバラでのより格好のよい殺され方について思いを巡らせた。彼独特の殺され方の一つが『えびぞり』だ。殺された後にえびの様に体を後ろにそらせ、痙攣し、ピクピクし、死ぬ前に何かをつかむのだ。」
「『私の演じる人物がどう死ぬかが、主役が映画に与える印象に、影響を与えるのです。』と福本さんは2012年のエッセイに書いている。彼の意見では、えびぞりは完璧な死に方だ。カメラが、主役の戦いぶりにフォーカスしたままで、切られ役も死ぬ時に視聴者に顔を向けることによってスクリーンの中に入ることが出来るからだ。」
「そして、刀で数千回切られた後、福本氏は、7月に公開される映画で、遂にスポットライトを当てられることになった。太秦ライムライトは、彼の役者人生の中で、初めて主役を演じる映画だ。」
「『私は最初はこのオファーをお断りしました。とても出来ないと申し上げました。とんでもないことだと思いました。』と福本さんは言う。『私は撮影が始まっても緊張していました。私は、私の前にあんなに多くのカメラがセットされて、私にフォーカスするのを、経験したことがなかったからです。』」
「この映画以前で、彼が演じた最大の役は、2003年のトム・クルーズ主演の『ラスト・サムライ』での口数の少ない剣客の役だ。」
「『今回は沢山のせりふがありました。そして、私はちゅくちょくせりふを間違えて、共演者にご迷惑をおかけしました。』と福本さんは語った。」
「太秦ライムライトは、福本さんの準自伝で、監督は落合賢。引退した切られ役が、山本千尋が演じる若い女優の面倒を見るという設定だ。」
「福本さんの役は、侍映画のスターになることが夢の、大志を抱く女優の指導をするという役だ。」
「17歳の山本さんは、タイチという武道の前ジュニア世界チャンピョンで、激しいアクションの連続には慣れている。しかし、彼との刀での立会いは、違いますと彼女は言う。」
「『撮影の後、私の体には痛みが残り、本当に疲れました。福本さんは私の祖父よりもお年を召されていますが、本当に親切です。でも、立会いのシーンが始まると、突然顔の表情が残虐になるのです。』と山本さんは言う。『本当にこわいですよ。』」

そして、福本さんが、切られ役のテクニックをチャーリー・チャップリンの映画からヒントを得て編み出したこと、そして、それは、ジャッキー・チェンやブルース・リーのカンフーの様に、素早くて短い動作の連続であることを伝える。

また、最近の時代劇の人気凋落により、京都の太秦撮影所での時代劇撮影回数の激減し、若い俳優に切られ役のテクニックを教えるチャンスそのものが減っていることを、福本さんが憂いていることを伝えている。

この記事は次の様なコメントで締めくくられる。
「『私の妻ですら、私が殺される場面が入っている時代劇よりも24を見たがるのです。』アメリカの連続テレビドラマ24を引き合いに出して、福本さんは言う。このベテランの切られ役はそのレパートリーを増やしていかねばならず、テレビ番組のナレーター役を始めた。」
「業界通によれば、彼は映画の中で、50,000回斬られたそうだ。福本さんは、それはちょっと大袈裟ですよと言うが。」
「過去50年の中で、最も印象に残った死はどれですかと聞かれ、福本氏は、どれも私にとっては宝物で、一つを選ぶことはで出来ませんと答えた。」
「『私が、スクリーンの隅っこで死のうが、主役に殺されようが、映画が大作だろうが、私には関係ありません。私は、誰かが私の死に気づいてくれることを望みながら、一回一回の死に全力を注ぐだけです。』と福本さんは言う。『きっと誰かが私に気づいてくれたのでしょう。幸運にも、そうした観客の皆さんが、私に主役を演じる機会を与えてくれたのです。』」

こうした記事が、お堅い経済紙の一面を飾っていることが、面白い。