日本でのカジノ解禁に賭けて、10年前にカジノ学校を開講した大岩根さんという方の物語が、一面に掲載された。WSJ日本語版に同様の記事が掲載されていたので、借用する。
大岩根さんという方、面白い方ですね。
大岩根成悦さん(45)は10年前、「カジノが日本にやってくる」ことに賭けた。
それから10年、日本ではまだブラックジャックでダブルダウン(賭け金の倍増)することが違法とされている。ただ、大岩根さんは諦めていない。
同氏は2004年に日本カジノスクールを開校。ミッションはカジノでゲームの進行役を務めるディーラーの手さばきやルーレットの回し方などを学生に伝授することだ。
校長を務める大岩根さんは「2、3年のうちにカジノが合法化されると、なんの疑いも持っていなかった」と述べ、このため「まだ合法化されていなくても学校を開業することが悪いビジネスアイデアとは全く思わなかった」と話した。
春の通常国会では関係省庁の手続きの遅れで法案を採決まで持ち込めなかったが、政府関係者らは秋には成立機運が高まると話している。
ラスベガス・サンズやウィン・リゾーツ、MGMリゾーツなど米国のカジノ大手はすでに、機会が訪れれば日本のカジノリゾートに大規模投資する準備を進めていると話した。また、カジノ業界の幹部は早くも候補地選びに乗り出しており、東京・築地の中央卸売市場の跡地や大阪此花区の人工島「夢洲(ゆめしま)」などに目を付けている。
一方、大岩根さんと日本カジノスクールの学生は、まだ合法化されていないテーブルで準備を進めている。
ある日の午後、新宿区にある大岩根さんのカジノスクールでは学生20人ほどがブラックジャックの練習をしていた。学生たちのプロ意識を鼓舞するかのように、壁にはクルーズ船や米国のテレビドラマ「ラスベガス」のポスターが貼られていた。また、「違法カジノには絶対に出入りしない」という非公式の校訓と思われる標語も貼ってあった。
大岩根さんがカジノに取りつかれたのは学生時代で、カジノが疑似体験できる東京の遊技場で働いていたころだ。同氏はホテルでのイベントやクルーズ船でも働いたことがある。
カードディーラーと結婚した大岩根さんは、「カジノディーラーは世界中で一番素晴らしい職業だと信じている」と述べ、「2歳になる息子にも、ぜひ将来はディーラーになってもらいたい」と話した。
最も印象深い思い出はグアムの北に位置する太平洋の小島、テニアン島のカジノ場で大勝ちしたことだ。当時まだ学生だった大岩根さんは同じテーブルでバカラを72時間連続でプレーしたという。テニアン島には日本からもカジノ客が訪れる。
ここで稼いだ700万円は学校の設立資金に使われた。
日本カジノスクールの1年コースでは、カードの手さばきに加え、親しみやすくルールを教える方法といったカジノ場での客のもてなし方などが初心者に伝授される。003年の開校記者発表には100社以上の記者やカメラマン、テレビスタッフなどが集まり、大岩根さんはタキシード姿で会見に臨んだ。こうしたマーケティングを実施した背景には、3年以内に日本でカジノが合法化されるとの信念があった。
当時、東京都知事だった石原慎太郎氏はカジノ構想に前向きだった。業界のアナリストらは、日本が近くマカオに次ぐ世界2位のカジノ市場になる可能性を指摘していた。マカオ政府の統計によると、同地域の昨年のカジノ収入は450億ドル(約4兆6700億円)だった。
大岩根さんは友人や銀行などから借金をして学校を開き、すぐに想定した30人を大幅に上回る192人の生徒を集めた。
「もうこれはいよいよだ。秒読み段階で待ったなしだ。勝ち側にいる」と大岩根さんは思ったという。
日本でカジノが合法化されるとの思惑が、20代や30代を中心とした生徒を呼び集め続けている。学費は平均で60万円だ。
法改正が期待される中、大岩根さんは今度こそカジノへの関心が急速に高まるとの手応えを感じている。
同氏は学校に加え、「addict(アディクト)」など疑似的なカジノゲームが体験できる遊技施設を複数運営している。ただ、カジノ解禁が実現すれば現在の事業を見直すことになろう。
ほの暗いaddict店内に並んだテーブルには黒いベストを着たディーラーが付いており、夜にはブラックジャックやテキサス・ホールデム、バカラ、ルーレットなどが楽しめる。日本には似たような娯楽施設が増えており、カジノを体験してみたいという人々の需要に応えている。模擬カジノではコインを現金や景品と交換することが禁じられている。このため、addictでは「中毒」という店の名前にもかかわらず、入場料は支払うものの全財産を失うことはない。
大岩根さんは模擬カジノの人気が本物の需要に火を付けることを期待している。
一方、ギャンブルに取りつかれた卒業生はそれほど楽観的でない。大岩根さんの学校ではこれまでに400人の卒業生を送り出してきたが、学校によるとカジノ関連の職に就けたのは70人程度にとどまる。
2008年に在学した大谷雅俊さんは「校長の(予想した)3年以内にカジノができるというのは、全く信じていなかった」と話し、海外に活路を見いだそうとした。現在、大谷さんはシンガポールでディーラーをやっている。
テニアン島やカンボジアのバベットなど、遠く離れたカジノ場でサイコロを振る卒業生もいる。バベットには隣国のベトナムからカジノ客が集まる。経験を得るためとは言え賃金は安く、業界関係者によると、現地ディーラーの給料は1日当たり数ドルにとどまるところもある。
カジノ学校への入学者数は最近46人に増えたが、長く生徒不足に悩まされた時期もあった。最悪は2012年で、東日本大震災が発生した後には生徒が28人しか集まらなかった。大岩根さんはコストカットで苦境を乗り越えたという。
20人いた学校スタッフを半分に減らし、残った従業員の給与も30%削減した。大岩根さんもゴルフやスポーツクラブを退会し、自身の給与も半分に減らした。また、ラスベガス訪問をやめてここ数年はカジノ断ちをしてきたという、厳しい制約も課してきた。
こうした苦労を経て、大岩根さんは今、「ジャックポット(大当たり)」に近づいたと信じ、2020年に東京五輪が開催される頃までには日本でカジノ場が運営されていると期待している。だが、それほど早く事が進むと予想するロビー団体や国会議員は少ない。
大岩根さんは予想が外れた場合のバックアップ計画も用意している。
同氏は「今回の法案でダメだったら海外に小さいカジノでも買おうか」と考えているとし、「そして、そこにアンハッピー(不運)な卒業生を送り込む」と述べた。