Monday, August 17, 2015

安倍の複雑な謝罪【A10面(社説)】

戦後70年談話について、17日の社説で取り上げた。
安倍首相は、70年談話の中で言葉の上では謝罪している。しかし、本人は、教科書検定により戦時中の残虐行為をごまかそうとしており、米国人も含めた分別ある外国人は日本の謝罪を真摯な謝罪と受け止めることは出来ないと指摘している。
また、安倍首相は、日本の帝国主義が西側の植民地主義を放逐したものとして正当化されるべきと信じている「日本会議」の特別顧問であり、安倍内閣の半数以上も同会議のメンバーであることを指摘。日本が戦前孤立したのは、狂信的な体制によって開始された紛争によって引き起こされた「結果」であり、安倍首相の言う様に「原因」ではなかったとし、安倍首相は、歴史にきちんと向き合っていないとしている。
米国は安倍首相が米国の教科書の内容に口をはさんだことに不快感を覚えているし、今回戦争の原因が西側の植民地主義にあることを指摘され、更に不快感を覚えている様に読める。
(WSJ日本版に同内容の記事が掲載されていたので、下記は同記事から借用しました。)
***** 以下本文 *****
アジア諸国は、安倍晋三首相が14日に発表した第2次世界大戦終了70年談話を固唾をのんで見守っていた。今年2月になった時点でも安倍氏は、戦時中の侵略について、前任者たちの謝罪から離反するかもしれないことをほのめかしていたからだ。謝罪から離反していれば、東アジア全域で怒りを招き、中国や韓国との亀裂が生じていただろう。
 このため安倍氏が、村山富市首相(1995年)と小泉純一郎首相(2005年)が使ったのと同じ正式な言葉である「owabi(お詫び)」を使って過去の謝罪を繰り返したのは一安心だ。安倍首相はまた、旧日本軍によって行われた売春の強制について、「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」と述べた。
 安倍氏は、戦争犯罪が行われていた時、日本人の80%がまだ生まれていなかったことを特に指摘し、未来の世代に対して祖先の罪を背負わせ続けるべきではないと述べた。しかし、日本人には歴史に向き合う義務がある。安倍氏も「(私たち日本人は)謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」と述べた。
 それは、日本の隣国にとってこの問題の核心を雄弁に表明している。従来の謝罪にもかかわらず、一部の政治家たちは、戦争を開始した日本の責任を重く考えなかったり、南京虐殺のような出来事をも否定したりした。それは、戦争について日本とその隣国が話がかみ合わないことが余りにしばしばだったことを意味し、今日、平和にとっての意味を損なっている。
 一部の日本人は、どんなに謝罪しても、胸中にナショナリスト的な斧を隠し持っている中国や韓国の批判者たちを満足させないだろうと不満だ。その不満は正当でもある。しかし、学校の教科書が戦時中の残虐行為をごまかして記述している時、米国人を含め、分別ある外国人が、日本の謝罪を真摯(しんし)だと称賛するのは難しいのだ。
 極端なナショナリストは、戦争の歴史を公の場で議論しようとする人々をいじめたり、脅したりしている。たとえば自民党の加藤紘一衆院議員(当時)は郵便で銃弾とナショナリストの名刺を送られたほか、2006年の終戦記念日にはある活動家によって自宅が放火された。安倍氏は「日本会議(国会議員懇談会)」の「特別顧問」だ。この会議は日本の帝国建設が西側の植民地主義を放逐しようとしたとして正当化されると信じている。安倍内閣の半数以上も同会議のメンバーだ。
 安倍氏は談話で、この世界観に歩み寄った。西側の植民地主義列強が日本を孤立させたのを受けて、日本は軍国主義という誤った道をたどっていった、と安倍氏が述べた時だ。これと同様の正当化は、東京の靖国神社にある戦時中の歴史を称えるための記念館でも展開されている。安倍氏は2013年、この靖国神社に参拝した。
 日本が戦後、平和的な道を追求してきたのは事実だ。しかしながら、安倍氏が日本の過去の行動について言い訳するとき、その意図をめぐる新たな疑問が提起される。日本の戦前の孤立は、狂信的なレジーム(体制)によって開始された紛争によって引き起こされた結果であって、原因ではなかった。それは人種的な純粋性と優越性に献身する体制だった。
 日本はアジアを解放するどころか、自らの植民地に対して全体主義的な支配を実行し、日本の氏名、言語、文化、そして歴史を被支配者たちに強制的に採用させた。
 われわれ、そして日本のその他の友人たちは、日本が過去に束縛されない普通の国になるとの安倍氏の願望を共有している。それはとりわけ、中国の潜在的な侵略行動に対抗する他の民主主義国とともに日本が立っていると信頼されるようになるためだ。安倍氏は、もし自らのアドバイスを自身で引き受け、歴史に真っ直ぐ向き合うならば、そのような目標に近づけるだろう。