Thursday, August 6, 2015

ある家族の時計が盗まれたことは世界にとっての損失【A12面(国際面)】

国連に展示されたいた原爆の悲惨さを伝える貴重な懐中時計が盗難にあったという記事が、広島原爆の日の8月6日の国際面に掲載された。



この懐中時計は針が無くなっているのに、8時15分の影が焼き付いている。この時計の所有者の遺族が、この時計が見つかることも重要だが、それ以上に世界の人にこの時計にまつわるストーリーを知ってもらい、平和の尊さを学んでほしいという趣旨の発言をしていることを紹介している。

***** 以下本文 *****

この記事は次の様な書き出しで始まる。
美甘進示(みかもしんじ)さんは、1,500ヤード先で閃光が光った時、父親の家の屋根の上で働いていた。彼の皮膚は焼け爛れ、目は殆ど開かない状態だった。」
「3ヶ月後、父と離ればなれになり、仮設軍事病院で回復した彼は、家が建っていた所へ戻った。そこで瓦礫の山を掘って彼はまた閃光を見たのだ。それは太陽が何かに反射したものだった。彼の父の懐中時計だった。」

暫く要約する。

その時美甘さんは、父が死んだと悟ったという。その時計の針は無くなっていたが、8時15分を示す影がそこに焼き付いていた。針が止まった時計は広島で沢山見つかったが、進示さんの時計の様に針が無いのに時間が読めるのは珍しい。進示さんは、その時計を広島平和資料館に寄付し、1985年には国連の広島長崎展のために貸し出すことに合意した。ところが、展示中にこの時計が盗まれてしまったのだ。

この記事は次の様なコメントで締めくくられている。
「国連のスポークスマンであるファランハク氏は水曜日に、国連は未だにこの時計に何があったのか把握していませんと語った。そして『この時計が無くなったことは、国連の全ての訪問者にとっての大きな損失でもある。』と語った。セキュリティーを担当する役人もこの事件に関係するいかなるファイルも見つけることができていない。」
「(進示さんの娘の)章子さんは、国連が捜査を再開してくれるのは嬉しいと述べた。そして『しかし、私自身の目的は平和のメッセージが広がることです。ですから、私は世界中の一人でも多くの人にこの時計について知ってもらいたいし、私の家族の被爆後の人生談や広島の人達がこうしたことを許していることを知ってもらいたいのです。』と語った。」