「米国国籍を持つ大坂なおみ選手が、なぜ日本代表としてプレーしているのか?」と言う疑問に答える記事が、13日のWSJに掲載された。
米国テニス協会が彼女の才能を見抜けず、日本テニス協会に先を越されたことが理由だとしている。
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大坂なおみが、先週開催されたUSオープンで彗星のごとく出現したが、このことは一つの疑問を投げかける。何故、彼女は日本国旗のもとでプレーをして、優勝を勝ち取ったのか?彼女は、3歳から米国に住んでいる米国市民なのに。
米国のテニス関係者によれば、答えは、機会を失ったことと、才能を見抜けなかったことにある。米国テニス協会は彼女をリクルートしようとした。しかし、それは彼女が16歳になってからだった。その頃には、大坂選手は既に日本テニス協会にコミットしていた。日本テニス協会は、大坂選手にお金を貸したり、コーチングをしたり、設備を使わせたりといった一切の便宜をはかっていなかったにもかかわらずだ。
USオープンに優勝して、大坂はスターとして華々しく開花した。彼女のUSオープンでの賞金は380万ドルで、既に彼女の累計賞金額は700万円に達している。彼女は現在世界ランキング7位で、ラケット企業であるヨネックス、日清食品、シチズン時計、WOWWOWなどがスポンサーとなっている。アディダスも彼女のスポンサーだし、木曜日にはある自動車会社がスポンサーとして名乗りをあげる予定だ。
しかし、彼女がトッププレーヤーに登り詰めるまでの道のりは、殆ど注目されてこなかった。彼女の才能を見抜くのは難しかった。大坂選手は日本の大阪に生まれた20歳だ。彼女とその家族は、彼女が3歳の時に、米国へ移り住んだ。2006年まではロングアイランドに住み、その後フロリダへと引っ越した。彼女は日本語が分かるが、普段は日本語の質問に対して、英語で答える。彼女の母親である大坂環さんは、日本国籍だ。父親のレオナルド・フランソアさんは、ハイチの出身だ。
「我々は、彼女が小さい時に、彼女は日本代表としてプレーすると決めました。」と両親はemailで答えた。「彼女は大阪に生まれ、日本とハイチの文化の中で育てられました。ですから、なおみとその姉のまりは、常に日本を感じていて、日本代表としてプレーすることが当然のことでした。金銭的な理由に動かされたわけではないし、特定の国の組織に影響されたわけでもありません。
大坂選手は、10歳の時に、日本を代表し始めた。彼女は、ジュニア選手権にはあまり参加せず、国際テニス協会の小さな大会に出場していた。国際テニス協会の試合は滅多にテレビ中継されないし、選手が公の場に注目されることもなかった。大坂選手は、ジュニアのグランドスラムトーナメントに出場できる実力を備えた後でさえ、国際テニス協会の試合に出場し続けた。
米国テニス協会が、彼女にオファーを出したのは、彼女が16歳になってからだった。
「我々は彼女に直接話をして、とても良い内容のオファーを出した。」と米国テニス協会の女子テニス部門長のオラ・マルムクヴィスト氏は言う。
この件に詳しい人々によれば、大坂がもっと若い頃には、米国テニス協会にはより大きなチャンスがあったが、彼女の力が見抜けなかった。それは、テニスではよくあることだ。子供が強いプロになるための肉体的なスキルや才能を持っているかを見抜くことはほぼ不可能だ。
大坂選手が18歳の時に、彼女とその父親は、エヴァートテニスアカデミーで練習を開始した。期待されている選手やプロ選手が午前中に練習を終えた後、大坂とその父はコートに現れる。そして、コートが空いている正午から午後2時まで練習していた。その頃、スローン・ステファンズやマディソン・キーズなどの有望選手も同じコートで練習していた。エヴァートは、大坂は目立つ選手ではなかったという。
「彼女には潜在的能力があったし、沢山のボールを打っていた。しかし、あまり動かなかったし、沢山のミスをしていた。」とエヴァートは言う。
テニスは個人競技だが、選手が代表する国にとっても大きな誇りとなる。特に、フェデレーションカップやオリンピックなどの場合は。
「彼女は我々を選んでくれた。」と日本テニス協会の坂本真理氏は言う。「我々は、なおみを日本人選手としてとても誇りに思います。」