Saturday, March 11, 2017

福島の真実が分からないことが原発産業に影を落とす【A8面(国際面)】

WSJは、311日に東日本大震災による福島第一原発事故について取り上げた。



原発事故から6年が経過したが、未だに、炉内の損傷状況すら分からない状況が続いている。炉内は放射線量が多すぎて人間は入れないので、ロボットに調査作業をさせようと試みているが、ロボットですら炉内では故障してしまう。このため、メルトダウンの原因すら未だに分からず、他の原子力発電所の再稼働に対して国民は大きな不安を抱いている
また、炉内の状況が分からないので、廃炉に向けてどういったアクションが必要かも分からない。従って、廃炉に向けたロードマップすら作成出来ない。一度、事故を起こしてしまうと廃炉すら出来ないという現実。そして、一旦汚染してしまった地区は、避難勧告が解除されても、住民が戻ってこないという現実。考えさせられる記事だ。

***** 以下本文 *****
日本の原発の惨事から6年が経過したが、かつて世界最大規模を誇った原発産業の再建は困難を極めている。原発事故について分からないことが多すぎて、原発再稼働に対する国民の反対が根強いからだ。
2011311日の地震と津波は、福島第一原発を機能不全に陥れ、それにより、何万にもの人々が避難生活を強いられ、汚染除去と補償費用は1,800億ドルにのぼる。しかし、政府は、311日の後、何が起きたのか正確に把握していない。
最近では、カメラ付きで、炉内をはい回ることが出来る「サソリ型の2足歩行ロボット」を使って、損傷状況を調査しようとしたが失敗に終わった。原子炉の中のどこに放射性の強い溶融燃料があるのかを示す写真を写すことができなかったのだ。その答え無しには、廃炉作業は開始出来ない。また、原子炉の損傷に地震が果たした役割や、メルトダウンが始まった原因などについても分かっていない。
「原発事故の真実はよく分からないままだ。」と、福島第一原発の建設に携わった技術者であるタナカミツヒコさんは、最近の記者会見の中で述べた。
原発事故の後、日本にある16の原子力発電所にある40基の原子炉は、全て停止していた。安全に対する懸念から、そのうち3つを除いた全ての原子炉が今でも停止したままだが、原発事故の後、何が起きなか正確に分からないため、こうした安全に対する懸念が増すばかりだ。原発反対を掲げて当選した新潟県知事は、福島で起きたことに関して更なる情報が提示されない限り、県内にある日本最大の原発の再稼働を目指したいかなる試みにも反対するとしている。
日本における脱原発の動きは、多くの国で起きている大きな潮流の一部だ。日米両国において、安価な天然ガスの供給により、原発の重要性は急速に弱まっている。
しかし、日本はエネルギーは輸入に依存しているため、原発を再開すべきか否かの議論は継続するだろう。従って、福島の問題をきちんと解決することが、原子力をエネルギー源として受け入れてもらうのには重要だ。
福島の事故は、4つの内3つの原子炉で核燃料棒のメルトダウンを起こし、燃料が漏れて原子炉の床で燃え尽きた。原子炉内部の放射能は、人間を数分で死亡させるのに十分な量だ。
東京電力は、今年の夏に、廃炉に向けての新しいロードマップを作成することを目指している。しかし、何を洗浄しなければならないかもはっきりしない。廃炉までのプロセスは、完了するまでに3040年かかると推測される。
東電のサソリ型のロボットは、放射性物質の上を登っているときに、転倒して動作不能となった。サソリ型のロボットが進む道を作るもう一台のロボットも、作業開始から2時間で戻って来なければならなかった。放射性物質の被ばく量が1,000シーベルトに達した際に、2のカメラが真っ暗になってしまったからだ。1,000シーベルトは、人間を死亡に至らしめる被ばく量の数十倍の量だ。
「我々が出来るのは、せいぜい内部を少し覗き見ることくらいだ。」と昨年の7月にマヒ状態の原発の所長となったウチダシュンジ氏は言う。廃棄物が見つかって除去された場合、その廃棄物を東電がどこに運んでいけば良いのかもはっきりしていない。福島の人々は、核廃棄物を発電所にそのまま残すことに強く反対している。他の地域に移動させることによって、地域についた汚名をはらそうとしている。近郊の都市で、放射能が下がったことにより、政府は非難区域を縮小している。しかし、地域を再建するのは難しいことが分かってきている。
原発から12マイルの所にある楢葉町では、20152月に避難命令が解除されたが、ふるさとに戻ってきた住民は10%にすぎない。発電所に続く道は、6,000人の従業員の通勤のため、朝晩は混雑する。しかし、多くのビルは空き家のままだ。
東電の従業員は、最近楢葉町を訪問して、今年4月に開校予定の楢葉小学校と楢葉中学校で、本や設備を整理するのを手伝った。この学校は、他の3つの学校を統合したものだが、115人しか生徒がいない。原発事故の前には、全部の学校をあわせて600人の生徒がいたにもかかわらず。
「ここで生活するのは大変です。多くの生徒が、完全に復旧するのを待っているので、帰ってきません。」と教頭のホリウチヒロシさんは言う。原発の近くにあるホリウチさんの家はいまだに立入禁止だ。

学校の野球場の隣では、大きな線量計が放射能レベルを計測している。そして、その数マイル先には、汚染した土を詰めた数百もの黒いバッグが横たわっているのだ。