明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産登録申請が、日本と韓国の間の新たな紛争の火種となっているというニュースが国際面に掲載された。
韓国は、これらの施設では韓国人が強制労働させられたとしている。WSJも日本の行為が如何に残虐だったかを報じており、韓国側に同情的だ。併せて、日本はこの問題を政治化しないこと、米国も日韓両国の建設的関係を求めていることを強調しており、韓国への冷静な対応を求めている様にも読める。
(この記事は、ウォールストリートジャーナル日本語版に殆ど同じ内容の記事が掲載されていたので、以下の翻訳の大半はその記事から借用しました。)
***** 以下本文 *****
「崔さん(86)は第2次大戦末期、13歳の時に強制徴用され、日本の炭鉱で働かされた。」
「韓国生まれの崔さんは他の少年たちとともに、鉄道と船を使って長崎県端島(軍艦島)に送られた。そこで、縦坑が崩れないように埋める作業に従事した。落盤事故などにより暑くて湿気のある坑道内で毎月数人が死亡したという。」
「端島は、第2次大戦敗戦による日本の朝鮮半島占領の終わりから70年たった現在、日韓の歴史問題の新たな火種の1つになっている。日本政府は、端島を含む23施設を『明治日本の産業革命遺産』として、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録申請している。」
「これに対し韓国は、23施設のうち7カ所で朝鮮人が強制徴用されたとして、登録に反対を表明した。日本と韓国の関係者は金曜日にユネスコへの申請について話合うことになっている。」
「この問題は、すでに歴史問題をめぐってぎくしゃくしている北東アジアの米国の2大同盟国の関係を一段と悪化させている。韓国の朴槿恵大統領は過去2年間、慰安婦問題を理由に安倍晋三首相との首脳会談を拒否してきている。」
「日韓両国が手を携えられないことから、米国のアジアにおける軍事的・経済的な影響力拡大の取り組みが阻害されており、米政府当局者は繰り返しため息をついている。日韓亀裂への懸念が深まる中で、中国は歴史問題で韓国に足並みをそろえていて、日本の文化遺産登録問題でも、中国人の強制徴用があったとして反対している。」
「米外交問題評議会の米韓政策プログラムのディレクター、スコット・スナイダー氏は、『日韓関係は、米国のアジアへのリバランス(再均衡)にとって環太平洋連携協定(TPP)以上に重要な問題である。』と指摘する。」
「ケリー米国務長官は18日韓国を訪問した際に、『日韓の建設的な関係は地域の平和と繁栄のために極めて重要だ。』と訴えた。」
「世界遺産登録をめぐる対立は数年前からくすぶっていたが、5月に入ってユネスコの諮問機関が、軍艦島などを6月下旬に開催される世界遺産委員会で正式に承認するよう勧告したことで燃え上がった。韓国は、日本が約8,000人の強制労働者をこれらの場所で使用したとして、反対のためのロビー活動を強化している。」
「ユネスコのボコバ事務局長は19日韓国で、日韓が対話を通じて合意に達するよう希望すると述べた。」
「一方、菅義偉官房長官は韓国の対応について『政治的な主張を持ち込むべきではない。』と非難した。」
「日本は、登録申請の対象となっている施設は、外国人が強制徴用されていた第2次大戦末期よりずっと以前の1850―1910年に建設・開所されており、建築物としての申請は議論を引き起こすものではないと主張している。」
「韓国は、1910年で区切る日本の主張は強制労働の責任を回避しようという動きだと批判している。韓国は、この問題を、日本の過去の歴史をごまかそうとする安倍政権の取り組みの良い例だとみている。」
(中略)
「端島を含む22の観光地を訪れる観光客は、ユネスコの諮問機関が文化遺産への登録を勧告した後急増している。近くの長崎市では勧告を支援する旗が街中に掲げられ、中央駅ではボランティアが端島など登録申請している施設に関する説明のパンフレットを配っていた。」
「端島は、ニューヨークのリバティー島と同じ位の大きさで、採炭の最盛期の1950年代には5000人以上が暮らしていたが、74年に閉山となった。その形状が軍艦に似ていることから『軍艦島』と呼ばれている。2012年のジェームズボンドの映画、スカイフォールでも使用されている。」
「ツアーグループは、コンクリートで覆われたこの島には植物が殆ど無かったので、住民が壁を緑色に塗ったとう説明を聞く。最近、ガイドは観光客に海底の炭鉱で亡くなった、外国人労働者を含む方々のことを思い出して下さいとお願いしている。韓国は、端島では600人の朝鮮人が強制徴用され、うち28人が死亡したと推定している。」
「崔さんは、徴用中に大きなけがはしなかったが、『肉に食い込むほど金属の針金で打たれ』、空腹から自殺を考えたこともあったという。そして、1945年8月に長崎に原爆が投下され、戦争が終わり、彼は自由の身となった。終戦後韓国の自宅に戻った時は、ほとんど無一文だったという。」