Monday, August 6, 2018

研究開発費削減のためホンダは技術神話を捨てる【A1面】

ホンダが自動運転車の開発に当たって、自前主義を捨てて、他社との協業を推進しているという記事が6日の1面に掲載された



 ホンダの自動運転システムのコア部分は、中国やドイツ企業の製品だ。創業者本田宗一郎は、全ての技術を自ら開発することにこだわり、その自前主義がホンダの誇りだった。そのホンダが、「自前主義を捨て、他社技術に依存する。」という、苦渋の決断をするに至るまでの物語を、分かりやすく、そして詳しく説明している。ホンダが直面したこの問題は、日本のどのメーカーにも当てはまる難題であり、多くの人に読んでもらいたい。

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半自動運転のホンダのSUVが昨年3月にテストトラックを時速20マイルで走行していた。その時、子供サイズのテスト用人形が、道路に侵入してきた。ホンダはその子供をひき殺してしまった。
その日は、日本政府のテストがあったのだが、ホンダにとっては苛酷な日だった。ホンダの車は、カメラとセンサーを備えていて、障害物を検出し、衝突を避けるためにブレーキをかけるはずだった。そのSUVは、歩行者テストの部で、2.5点満点中、0.2点だった。試験を受けた車の中で最低だった。
技術に優れた巨人として長い間君君臨してきたホンダは、毅然として改善に乗り出した。そして改善したのだ。しかし、改善を実現したのは、ホンダの技術ではなかった。ホンダは、ボッシュから、出来あいのセンサーを購入してきたのだ。ボッシュの技術を使ったホンダのシヴィックは11月に同じテストを受けて、25点中24.4点を取った。
ホンダが外部から技術を買ってくるという決断をしたということは、日本が誇る優良企業の1つに大きな企業カルチャーの変化が起きているということを物語っている。ホンダの創業者である本田宗一郎は1960年代に「我々は、他人に依存することを否定する。」と述べた。起業家として成功するまでの苦闘は、世界のテクノロジーリーダーとして、日本人の胸に深く刻まれている。
以前は、ホンダでは、自社の技術者が、エンジンからサスペンションアームの形に至るまで、新しい技術を開発していた。今日、ホンダは、その様に全てを自分で開発するというやり方では、スピードについていけないと感じている。
いわゆる「パワーポイントエンジニアリング」に不満をもつ社内の人々の間には、怒りを露わにする人達もいる。パワーポイントエンジニアリングとは、技術者がスライドを適当に組み合わせて、自分で技術を開発するのではなく、他人が作った技術を組合わせるやりかたを言う。
「ホンダは変えてはいけないことを変えてしまっている。」と2016年に退職するまで、20年に渡ってホンダの研究部門で働いたツル・ヒデアキさんは言う。独創性のある製品を作ることが「ホンダ精神」だと彼は言う。
世界の自動車メーカーは、電気自動車や自動運転に使われる新しい技術を開発するために必要な、莫大な投資に大きなプレッシャーを感じている。こうしたコストを削減するために、多くのメーカーが、ボッシュ、コンチネンタル、デンソーといった大手サプライヤーやインテルの子会社のモバイルアイの様な小さいけれど尖った技術をもったサプライヤーに依存している。
「我々は、最も優れた技術をもったサプライヤーと協業したいのです。彼らが、日本企業か米国企業か欧州企業かは、関係ありません。」とホンダのCEOである八郷隆弘はインタビューで発言した。

電気エンジン
ホンダは、中国の検索エンジン大手の百度と自動運転車の地図テクノロジーで協業することを発表した。また、中国のスタートアップであるセンスタイム自動運転車用のカメラソフトウェアの開発で協業すると発表した。同社は、AIの分野で、ソフトバンクと協業している。ソフトバンクはAIを使った彼らのソフトウェアは運転手の感情を読むことが出来、将来的には、自動車は、運転者の気分に合わせた音楽を推奨するといった仕事が出来る様になるとしている。
ホンダは、何にも増して、そのエンジンに誇りを持っているが、電気モーターの開発は外注している。日立の自動車部品部門は、ホンダとの合弁会社の株の過半数を保有している。この会社は、20213月を目指して、ホンダ車用の電気モーターを開発している。2030年までには、2/3の車が、部分的もしくは完全に電気自動車となるだろうと八郷氏は述べた。6月には、ホンダは、電気自動車用バッテリーをGMから購入するとも語った。
ホンダの正式名称は、本田技研というが、こうしたアウトソーシングへの移行により、ホンダは、独創的な自動車技術の創造者という自らのアイデンティティの見直しを迫られる。ホンダの最も有名な製品の1つに、ナヴィゲーションシステムがあるが、これはGPSが民間で使用される様になる前に実現したものだ。CVCCエンジンは、燃費が良く、排出量を抑えたものだ。1972年にこのエンジンが公開された時、当時のエンジン開発トップのヤギシズオは高らかに宣言したものだ。「我々ホンダは、全てを自ら開発しました。」
多くの日本人にとって、ホンダは独創性と自信の象徴だ。こうした独創性と自信が、第二次世界大戦後の日本を工業大国へと変えたのだ。今日、日本メーカーの品質の、韓国や中国の新興企業に対する優位性は狭まるばかりだ。そして、日本の自動車産業は、複雑な自動運転車を開発するのに必要なソフトウェアの開発では、シリコンヴァレーや欧州の後塵を拝している。
ここ数年、ホンダは、トヨタの様な、より大きく、より高い利益をあげている競争相手からのチャレンジに合ってきた。こうしたより大きな企業は、開発費を吸収できるという点で優位に立っている。ホンダの昨年の研究開発費は売上の5%だった。一方、トヨタは3.5%にとどまった。
トヨタは、ホンダの2倍にあたる1,000万台の自動車を生産しているが、自動運転者の自社開発に数10億ドルを使うつもりだと述べた。トヨタは、2016年にダイハツを完全子会社化し、マツダとスバルの株を一部保有している。こうした企業は協力して次世代技術の開発に当たっており、トヨタのコスト低下に貢献している。
ルノー、日産、三菱連合は、2022年までに1,400万台の自動車を販売することを目指している。フィアット・クライスラーの元CEOであるセルジオ・マルキオーネは、年間1,500万台を販売することが出来る自動車メーカーを作るために合併を模索した。目的は、費用削減のためだ。
後になって、同社は合併無しでも生き残れるとしたが。同社は、昨年470万段を出荷した。
八郷氏は、ホンダは他の自動車メーカと合併することに興味は無いと述べた。
ホンダは、1946年に本田宗一郎によって設立された。彼は、自ら生み出した技術革新で、巨人と戦うことを愛した、機械好きだった。彼と数人の労働者は、小型発電機向けのエンジンを作って、それをバイクに付けた。それが最初のホンダの製品だ。15年も経たないうちに、マン島レースで、ホンダのバイクは、ヨーロッパのライバルたちを打ち負かした。
ちょうどその頃、本田氏は、自動車の試作車の開発を急いでいた。自動車を作った経験は殆ど無かったが。しかも、自動車市場への参入禁止を目的に準備されていた日本の法律を無視して。
今日、本田は世界中に約20万人の従業員を雇っている。大きくなるにつれて、この会社は、イノベーションよりも利益を優先させる様になってきた。経費削減戦略が品質低下を招き、ファンが反転を起こし、結果として売上に悪影響を及ぼしたと、ホンダの元幹部は言う。
2008年の世界的な金融危機と2011年のタイの洪水は、部品の供給を停滞させ、ホンダの利益を低下させた。当時のCEOの伊東孝紳はより無駄をそぎ落としたより大きな企業に改造しようとした。もしホンダがトヨタの様な規模を追求しなければ、ホンダは置いて行かれると恐れて。

売上追求
2012年に伊東氏は、中国やインドといった新興国での販売に集中して、2017年までに自動車販売台数を600万台にまで倍増させると発言した。この戦略のカギを握るのは、刷新したフィットハッチバックだった。この車は米国や日本で販売するのに十分なほど品質が良かったし、インドや中国でも販売出来るほど安価だった。八郷氏はインタビューで「この考え方は現実には機能しなかった。何故なら、市場毎の違いがとても大きかったから。」と述べた。
伊東氏は、ホンダの強大な研究開発部門の引締めを行い、明らかなビジネス的なメリットが無いプロジェクトへの支出を切り詰めようとした。元エンジニアの幹部によれば、以前は、プロジェクトの中にゴキブリの神経システムを研究する研究員もいた。グループは、従来のパラレルマネジメント構造で運営されていたが、研究開発プロジェクトは本社の承認が必要になったと、元幹部は明かす。
売上規模の拡大を急ぐ一方で、コストも削減も進めるというやり方は、混乱を招いた。2011に販売を開始した9代目シヴィックは、その低品質部材で批判を浴びた。批評家は、ハンドルの品質の悪さや内装の安っぽさなを指摘したが、こうした指摘は以前のホンダでは考えられないことだった。シヴィックと多くの部品を共有したフィットは、2013年に市場に投入されたが、その翌年には5回もリコールされることとなった
伊東氏はその任期完了以前に方針を変更した。売上目標を下方修正し、技術者には10代目シヴィックの開発に当たり予算に余裕を与えた。結果として10代目シヴィクは好評価を得た。
ホンダ一筋で働いてきて、中国ビジネス構築で貢献した八郷氏が、2015年に後を引き継いだ。前任者の自己批判を受けついで、ホンダは成長を求めるが、あまり広げ過ぎないと語った。
この新たなトーンは、昨年の電気モーターでの日立との協業の際にも明らかだった。「一つの会社が全てをやるよりも、最も良い部品を集めて、一つの車に集約することが重要だ。」と八郷氏は語った。
潜在的に可能性のある関税やNAFTAの改定は、ホンダのビジネスにとってリスクとなり得る。ホンダは米国で販売する自動車の約75%を米国の工場で生産している。しかし、ホンダはメキシコへも展開した。セラヤにあるメキシコでの最新工場は20万台の自動車のSUV生産でき、その内半分が米国で販売される見通しだ。

自動運転の計画
ホンダの半自動運転システムを担うホンダセンシングをみると、その戦略が頻繁に変更されているのが分かる。最初のシステムは、ホンダと2013年にホンダ本体から切り離された子会社ホンダエルシーが共同で開発した。このシステムの仕事に従事した人によれば、2014年までに、ホンダはボッシュと新システムの供給について交渉していた。何故なら、エルシーのシステムが、歩行者と他の物体を見分ける点で信頼たるシステムではなかったからだ。ホンダはその日本語ウェブサイトで、カメラは1メータ以下2メーター以上の物体を的確に認識できないとしていた。
ホンダは、ボッシュにホンダ向けにユニークなものを開発する様に求めていた。しかし、最終的には出来あいのものを購入することにした。関係者によれば、ボッシュは殆ど全ての自動車メーカと取引きがあり、ホンダのためにユニークなものを作ることは現実的ではないと主張した。
両社の広報官は、ホンダがボッシュの装置をホンダセンシングに使用していることを認めた。しかし、決定過程について公表することは拒否した。ホンダセンシングは、前の車との間に一定の距離を保ったり、事故を防ぐために急ブレーキをかけたりするといった行為を、運転手に代わって行うもので、多くのホンダ車で標準になっている。
ホンダの次なる挑戦は、より完全な自動運転の能力をもった車の開発だ。ホンダは、2020年までにハイウェーを自律的に走行可能な車を販売する計画だと述べた。
ホンダのライバルたちはもっと過激なスケジュールを準備している。日産は2020年までに日産車が一般公道を走れる様になると言っているし、GM2019年までにドライバー不在の大型運搬車を走らせる目標を持っている。
ホンダは、社内の研究をセンスタイムの様な企業との協業による成果とを組合わせたいとと言っている。センスタイムは、中国企業で、車に搭載されたカメラを使って人と物体を認識するソフトウェアを開発している。
昨年夏のマスコミ向けのデモで、ホンダの自動運転試作車は、ストップサインを止まらずに走り抜けた。ホンダの広報官は、その車は初期の試作車で、その性能は、センスタイムとの協業の結果、今や飛躍的に改善していると述べた。
ホンダの最終的な自動運転システムのソフトウェアの中で、ホンダの技術者が作成したソフトウェアはほんの一部分でしかない見通しだと、自動運転の主任技術者であるヤスイユウジは言う。

「自動車メーカーはあることにフォーカスし、サプライヤーは別のことにフォーカスする。」と彼は言う。「我々自身は何も変わっていません。変わったのは、ホンダにとって、全てを自分でやることが非効率になったということです。」