トヨタ自動車が方向転換し、自動運転に力を注ぐという記事が、一面に掲載された。
日本語版に同じ記事があったので借用させて頂いた。
***** 以下本文 *****
2015年9月、トヨタ自動車・東京本社にある豊田章男社長のオフィスに3人の幹部が入った。3人には、トヨタも、無人運転の可能性も含む自動運転車を作るという目標を受け入れる必要があると考え、社長に抜本的な変化を求めようとしていた。カーレースの熱狂的ファンで、自らもハンドルやアクセルを操作するのが好きな豊田氏は長く抵抗してきた。
3人は社長室で豊田社長と向き合った。参加者の1人は当時を振り返り、ミニカーやレース用ヘルメットが飾られた豊田氏のオフィスが、まるで10代の少年の部屋のようだったと話した。彼らは社長を説得するのに長時間を費やす覚悟だった。
ただ、豊田氏はすでに考えを変えていた。
参加者の1人によると、豊田氏は「何を難しく考えているのだ」と語った。「とにかく色んな人が、自由に移動できることが大事なのだ」
北米国際自動車ショーが開かれているデトロイトでインタビューに応じた豊田氏は、自分自身の中に大きな考え方の変化があったと話した。この変化は1年以上前、格好良い自動車に乗りたがっているパラリンピックの選手たちと会った時に起こったという。同氏は心境の変化を公にしたのはそれから随分後のことだった。
豊田氏は「トヨタにも自動運転に対する参加意義、それから参加する大きなリソースがあると思う」と語った。
トヨタの創業者の孫である豊田氏の方針転換は業界革命の一翼を担うものだ。安価なガソリンや米国での記録的販売など、自動車会社の事業は好調さを示している。とはいえ、自動車メーカーにはテクノロジーの変化の波に飲みこまれかねないという不安がつきまとう。
世界市場で一歩先んじようとする競争が繰り広げられる中、伝統的な自動車各社はソフトウエア会社が自動車の魂と収益性の両方を奪い取ってしまい、自分たちはスマートフォン(スマホ)を受託生産する中国の工場のような地位に追いやってしまうのではと恐れている。
米グーグルの親会社アルファベットは自動運転車を開発中で、アップルは2019年までに電気自動車(EV)の出荷を開始する目標を設定したという。これらIT企業に加え、配車サービスの米ウーバー・テクノロジーズのような新興企業も未来の自動車に率先して向かっているのだ。
米テスラ・モーターズなどが生産するEVの台頭は、内燃エンジンと長年蓄積されたエンジニアリング技術を脇に追いやることで、自動車産業の参入障壁を引き下げた。
世界的な自動車大手の中には新参者との間に架け橋を築く企業もある。米ゼネラル・モーターズ(GM)が相乗りサービスを手掛ける米リフトに5億ドルを投じたほか、関係者によると フォード・モーターも自動運転技術の採用でグーグルとの提携を目指しているという。
トヨタほどこの挑戦が克明に描き出されている企業はない。トヨタは販売台数でも利益でも世界最大の自動車メーカーだ。トヨタの販売台数は年間1000万台以上となり、純利益は2016年3月期に190億ドルになると見込まれている。
ただ、同社の現旧幹部らによると、信頼性と生産能力という従来の強みの外の分野に競争の場が移っているという不安が、トヨタ内部でも徐々に強まってきたという。
自動車排気系システム大手のフタバ産業に昨年異動するまでトヨタの役員を務めていた吉貴寛良氏は、「自分の土俵で勝負している限りは強くても、そこに対して全く別のところから思いもかけなかった形での参入者が来て、盤石だと思っていたゲームのルールが変わってしまう。そうすると、今まで古いゲームのルールで一番強かったところがすぐにやられてしまう」と話した。
過去4年間、トヨタの経営陣はグーグルからの極秘の申し入れを断り、一部でタブー視されている「自動運転」という言葉をどう扱うか頭を悩ませてきた。
自動運転プロジェクトに関わった関係者らによると、社長をどう説得するかについて頭をひねらせたという。豊田氏はロボット運転に対する不信感を包み隠さなかったからだ。
豊田氏は2014年、ドイツのニュルブルクリンクにあるサーキットコースで人間の運転する車を打ち負かすまでは、自動運転機能を備えた車を信用しないだろうと述べていた。同氏はそこで開催される24時間耐久レースに何度も参加している。
社長自らが方針転換を明確にした今、トヨタは次々とイニシアチブを打ち出している。10億ドル以上を投資して米シリコンバレーから優秀な人材を採用すると発表したほか、2020年までに高速道路を自動で運転する車を生産し、人工知能(AI)とロボット工学によって切り開かれた別のビジネス機会にも目を向ける計画を示している。
豊田氏はインタビューで、「自動車以外のビジネスに対しても出口はあると、期待を込めている」と述べた。
グーグルで自動運転プロジェクトを率いていたセバスチャン・スラン氏は、トヨタの大規模投資が競合各社に同様の動きを促す可能性があると指摘。「これは他社の(自動運転車に対する)コミットメントを上回っている」とした上で、「今、あらゆる自動車メーカーの最高経営責任者(CEO)がそれについて語り、自動運転車に関する計画を立てる必要に迫られている。それがビジネス上の並外れた破壊力を持っているからだ」と述べた。スラン氏は現在、オンライン大学のユーダシティを率いている。
トヨタの危機
豊田社長の下でのトヨタは試練の連続だった。同氏の社長就任は世界的な景気後退の真っただ中で、トヨタが数十年ぶりの通年の赤字を発表した直後の2009年のことだった。一部の車が意図せずに急加速したという訴えを受けてリコール(回収・無償修理)を実施し、罰金と和解金として20億ドル以上を支払ってきた。その後、米当局はトヨタのソフトウエアに欠陥がなかったと指摘した。そして2011年には東日本大震災が発生し、生産ラインが一時停止に追い込まれた。
トヨタの現旧幹部らによると、リコールを含むこうした危機の時代を経たことで同社は法的責任に一段と神経質になり、自動運転車の積極的な開発に飛び込みにくい要因となった。
一方、グーグルは2009年に独自の自動運転車プロジェクトを開始。スラン氏は「私たちは非主流派だったし、誰も真剣に捉えないと思っていた」と当時を振り返った。
世間の注目が高まったのは、カリフォルニア州とネバダ州が2012年に一部の自動運転車の公道実験を許可してからだ。当時トヨタの役員だった伊原保守氏など複数の関係者によると、グーグルが自動車制御での協力をトヨタに持ちかけたのは、その年の春だった。豊田氏はこの話を知らなかったと述べた。
豊富なソフトウエア技術を持つグーグルは、加速やブレーキ、方向転換など、トヨタの持つ自動車の物理的な動きを制御するノウハウを欲していたという。グーグルはコメントの求めに応じなかった。
グーグル本社を訪ねて試作車にも乗ったという伊原氏は「(グーグルが)なぜこれほど早くできたのかと思った」と話した。同氏は現在、アイシン精機の社長を務めている。
日本では、トヨタのエンジニアと幹部がグーグルとの提携について議論していた。関係者によると、最終的にトヨタはこれを断ったが、その理由は情報を共有することへの不安があったほか、自動車がグーグルの基本ソフト(OS)向けの単なるハードウエアになってしまうのを懸念したためだ。
その頃、自動車メーカーや部品大手が自動運転技術に言及する機会が増えるようになった。米ラスベガスで開催される家電見本市「コンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)」は自動車メーカーの技術が披露される場となり、まずは自動車の「コネクティビティー(通信)」、そして自動運転車が発表された。
一方でトヨタは、研究予算の一部を使い、技術者の一部で新たな運転技術の開発を目指していた。静岡県の東富士研究所では、エンジニアらは自動で駐車する技術に取り組んでいた。同社のエンジニアの鯉渕健氏は、何らかの自動運転機能が搭載された車を公道で走らせるということが当時では考えにくかったため、あえて会社の敷地外に試作車を持ち出さなかったと話した。
トヨタは2012年ごろに、この技術を米ミシガン州の公道で実験し始めたと、関係者は話した。ただ、同社のエンジニアたちは豊田氏の情熱が別の方向に向かっているのを知っており、自動運転に対する会社の態度が明確にならない中で努力を重ねてきたという。
豊田氏はしばしば、スマホに傾注する若者に運転への情熱を促したいと話していた。車に運転手がなければ、「Fun to Drive」というトヨタのキャッチコピーは意味を成さなくなる。
当時トヨタ米国法人の幹部であったマーク・テンプリン氏は2013年のCESで、「私たちのビジョンにあるのは必ずしも自動で運転する車ではなく、安全運転に貢献するスキルを持つ、知性的で常に注意を払ってくれる運転補助(機能)を搭載した車なのだ」と語った。同氏はCESで自律走行機能を搭載した安全研究車「AARV」を公開した。
2014年1月、トヨタは派手な宣伝もなく、鯉渕氏を筆頭にした自動運転車の専門チームを立ち上げた。
2014年1月、トヨタは派手な宣伝もなく、鯉渕氏を筆頭にした自動運転車の専門チームを立ち上げた。
しかし、チーム名には「自動運転」という言葉は入らなかった。「自動運転」が「無人運転」と同一視されることへの抵抗が社内であり、また会社のキャッチコピーに反するように捉えられたくなかったためだと関係者は述べた。トヨタは鯉渕氏のチームを「BR(ビジネス・リフォーム)高度知能化運転支援開発室」と呼んだ。
グーグルは2014年5月、自動運転車の新たな試作車を公開した。カリフォルニア州の公道でこの試作車を目撃する機会が増え、同社は現実世界で自動運転車を走らせる経験を積み重ねていた。
その頃、鯉渕氏はトヨタ本社で約20人の役員を前に自分の意見を述べる機会を得た。そこに豊田氏はいなかった。鯉渕氏は役員らに対し、トヨタが直面する挑戦はこれまでに経験したことのないものだと話したという。自動運転車を走らせるには高度な地図やAI、画像認識技術が必要になる。
トヨタはブレーキやハンドル、バックミラーなどを生産する巨大なネットワークを持っているが、鯉渕氏はこうした伝統的なサプライヤーだけでは十分でなくなるだろうと幹部らに説明。同氏は「IT業界が入ってきているし、必ずしも従来の自動車メーカーが得意としない(競争環境の)領域に入っているので戦い方が違うことを、役員に理解してもらえた」と述べた。その後、チームの人員と予算は増えたという。
トヨタの外では、自動運転車に関する話題が盛り上がりを見せていた。日産自動車のカルロス・ゴーンCEOは2014年7月、市街地の交差点も走れる自動運転車を2020年までに導入する計画を明かした。高級車「メルセデス・ベンツ」で知られる独ダイムラーは2015年1月、車内が会議室のような自動運転機能を搭載したコンセプトカーを披露した。
心境の変化
自動運転に対するトヨタの態度については、社内外で疑問があがっていた。報道陣はグーグルに大きな後れを取っているように見える理由を同社に求めた。当時、トヨタの幹部は、研究が同様に進んでいると考えていると述べる一方、この技術は運転手に代わる技術ではなく、運転手を支援する技術があるという、豊田氏も受け入れられるような答えを述べていた。
豊田氏は積極的に現場と接触を図っているものの、最前線からの情報が自分になかなか上がってこない時があると指摘。「上がってきた時には遅い情報という意識がものすごく強い」と話した。
鯉渕氏によると、同氏が率いるチームが行っている取り組みなどを外部に知らせる方法を広報チームとまず相談し始めた。そして、自動運転技術が活用されるべき分野を限定すべきではないことを話した。
最終的に、3人の幹部がこの問題を社長に進言することを決めた。鯉渕氏と、技術開発本部本部長の伊勢清貴氏、広報部長の橋本博氏だ。豊田氏がすでに考えを変えていたと聞いて3人は驚いたが、豊田氏によると、この会合がトヨタの転換点となり、「そのおかげで(様々な動きや発表が)非常に早まった」という。
豊田氏は2014年にパラリンピックの選手たちと会ってから心境に変化が生じたと話した。選手たちは、障害者が簡単に乗車したり、操縦できるように設計されただけの車に乗りたくないと豊田氏に話していたのだ。
豊田氏はお気に入りのスローガンが従業員の一部を混乱させたかもしれないと認めた。「Fun to driveというのは、ものすごく多様的に考えていく必要性がある」ことに気付いたと述べた上で、それでもこの目標を断念したくないと付け加えた。同氏は自動運転車について、究極的に交通事故を削減するべきだとも話した。
トヨタの公のスタンスが変わるのは速かった。11月にはAIを研究するシリコンバレーの新施設に10億ドルを投入すると発表。この研究施設を率いるのは米国防総省の高等研究機関でロボット工学分野のマネジャーを務めたギル・プラット氏だ。
また、グーグル・ロボティクスの元責任者も、トヨタが新研究施設で採用する予定の200人の研究者の中の1人として採用した。さらに、同社は「ディープラーニング(深層学習)」を手がける東京のベンチャー企業に800万ドルを投資。鯉渕氏によると、トヨタで自動運転技術を研究しているのは東富士研究所で約70人、シリコンバレーでさらに100人ほどいる。
豊田氏は自動運転であろうがなかろうが、車は自由を提供すべきだと話した。
「ドライバーにフリーダム(自由)を与える、そして(ユーザーから)愛というものを与えられる移動手段であることは、絶対に失ってはいけない自動車のエレメント(要素)だと思う」
【訂正】第1段落の「役員」を「幹部」に、第14段落の吉貴氏の肩書きを「役員」に、第21段落の「通年で初めての赤字」を「数十年ぶりの通年の赤字」にそれぞれ訂正します。また第46段落の「同氏」を削除します。