Tuesday, October 9, 2018

日本の津波からの復興は世界への教訓【A17面(読者投稿欄)】

3.11からの復興」から学べることは多いとする読者の投稿が、9日の読者投稿欄に掲載された。


 米国人であるこの読者は、被災地に何回か訪問したことがあり、彼自身がそこから学んだ「7つの教訓」をまとめている。日本人では気がつかない視点もあり、なかなか面白い。東日本大震災からの復興プロジェクトは、3,150億ドル(約33兆円)を投じた人類史上最大の土木プロジェクトとのこと。復興が終わると、沢山の失業者が出るだろうという心配が米国人らしい。


***** 以下本文*****
ハリケーンFlorenceやスラウェシの地震と津波の様な自然災害は、数日か数週間、見出しを飾るが、その後の復興からの重要な教訓は、しばしば忘れ去られてしまう。2015年に日本の津波被災地への4回目の訪問の時に初めて、私は、日本の復興10年計画は、目に見える結果を出し始めたと感じた。最近、私は再訪問した。22,000人の犠牲者を出した2011 311日の大惨事から7年が経過した。日本の経験からは多くのことが学べる。

・移設住居を事前に計画しておく。3.11の後、日本政府は、迅速に、何万人もの避難民を緊急避難シェルターから、平らな屋根の鉄筋のプレハブへ移送した。1995年の神戸・大阪地震の教訓から事前に計画を策定していた。アクセスの便のために、フレキシブルなバスルートが、被害が甚大で復旧に時間を要する鉄道を代替した。

・日用品の需要を満たす仮設ショッピングセンターを迅速にオープンさせる。地元のビジネスの再開をスピードアップする。サノケンジさんが、グリーンリーフ仮設ショッピングパークの彼の店に貼り出した貼り紙は、心温まるニュースだ。この店は、津波によって最も甚大な被害を受けた町の一つである釜石にある。貼り紙には次の様に書かれていた。「崩壊した家と酒屋を再建しました。このため、この仮設店舗での営業を止め、以前家や店があった場所に戻ります。」3.11から5年経って、サノさんは、父親が1926年に始めたファミリービジネスを再興させたかった。51才の息子が家族を支援できる様に。

・目立つ避難サインが不可欠。サノさんの近隣の人々は、家を出たが、すぐに死んでしまった。なぜなら、どこへ行くべきか分からなかったから。津波の被災地には、今は、高台を指すサインが設けられている。もし、災害の前にこうしたサインが設置されていたら、多くの人命を救っただろう。

・メンタルヘルスサービスが不可欠。高齢社会である日本では、被災者の多くが痴呆症に苦しんでいた。しかし、壁に囲まれた避難所の中まで入って対応するためには、十分な数のソーシャルワーカーがいなかった。サノさんは、最近87才になったが、数十年前に彼の店を訪れた外国人からもらった犬の耳の形をした名刺を取り出して、半分冗談気味に老人ボケについて語る。

・全ての町を元どおりにすべきというわけではない。釜石から2時間ほど南に行ったところで、最も野心的な復興の取り組みが行われている。陸前高田は、津波地域で1,800人と2番目に多い犠牲者を出した。広田湾から押し寄せた津波の水が、町全体を覆った。こうしたことが2度と起きない様に、浸水した地域は30フィート以上かさ上げされた。近隣の山から削ってきた土を使い、その場所に土を盛るためにベルトコンベヤーで2マイル運んだ。未だに答えが出ていなのは、陸前高田は、自然に従い、高台に町を再建すべきだったかどうかだ。津波から7年経ったが、町の最終形は未だに想像の中だ。
海岸を4時間ほど北上した田老では、津波の脅威がまるでミニチュア模型で起きたかの様だ。33フィートの高さがあるXの形をした内陸側と海岸側の防護壁が町を守っていた。津波のあと田老の町は、禿げた男の頭の様になってしまった、被災を逃れた家が、周辺部の高台に残り、低地は完全に破壊されてしまったからだ。人口は、4,434人から3,019人にまで減少した。
しかし、田老は前に進む決意だ。防波堤と水門は再建された。町にあるセメント工場は規模を縮小して再建された。民家と町役場は、浸水の心配のない高台にリング状に建っている。8.5エーカーの太陽電池発電が、400の民家に電力を供給する。町の真ん中には、野球場がある。地元のセミプロチーム、キットカットドリームズの本拠地だ。

・津波の被災者を一般化するな。「それぞれの避難者には、それぞれの津波体験がある。」と田老で食料品店を営む79才のハヤシモトさんは言う。「彼らの内面の苦しみは分からない。」ハヤシモトさんの個人的な重荷は、痴呆症で入院している夫と、昨年バイク事故で身体不随となった息子を訪れることだ。田老は日本で一番美味しい鮭が採れることで有名だ。息子は、日本の大都市向けの、乾燥サーモンのビジネスを始める予定になっていた。「この再興は、次の世代のためのものだ。我々の世代のためではない。」とハヤシモトさんは、ため息交じりに言う。

・最大の津波の高さの下に原発を作るな。福島原発から数マイル南にあるヒロノで、タケダさんという男性が、津波の最大の高さを示す柱へ連れて行ってくれた。その高さよりも上にある建物には、殆ど波がくることはなかった。それより下のあらゆる地点は破壊された。福島原発は、ちょうど津波の通り道に建っていた。

日本の津波からの復興は、かつて行われたことのない規模のエンジニアリングプロジェクトだ。10年で3,150億ドルが予算化されている。アパートは完成し、殆どの避難民が恒久的な住居に移り住んだ。2021年には、結果論からとやかくいう人が沢山出てくるだろう。これ位の規模の仕事になると、世界の全ての悪、例えば、非効率、無駄、重複、汚職、腐敗などが表面化してくるだろう。大手の建設会社は、行き場を失った機械を持つことになるだろう。多くの労働者が解雇されるだろう。
しかし、日本は幾つもの町を再興したのだ。公園や近代的な学校や先端技術を使った建物で。世界がこれまで「スマートコミュニティ」を作ろうと努力してきた中で、最も素晴らしいものだ。そして世界は、何世代にも渡って、分析し、学ぶべき災害復興のお手本を持つことになるのだ。