Saturday, February 13, 2016

日本のバズーガは弾薬切れ【A1面】

日銀黒田総裁が万策尽きたとする記事が、1面に掲載された。


黒田氏はデフレの原因を国民の心理的冷え込みにあるとし、サプライズにより心理的にインフレ誘導を図ることを重視してきた。その意味で彼は銀行員というより心理学者だと言う。大蔵省後、アジア開発銀行総裁を務めたが、そこでの経験と、英語の巧さ、国際金融業界での人脈が、こうした彼の大胆なやり方を後押ししているとした上で、そうしたやり方が限界にきていると言っている様に読める。

***** 以下本文 *****

「安倍首相との東京での会談の後の黒田総裁。黒田氏の経済再生のための動きは頓挫しているが、彼は日本の中央銀行はまだ新しいやり方を作り出すことが出来ると語った。」
「黒田総裁は以前は市場をびっくりさせていた。いまや彼は他の中央銀行員の様に取るべき手段を取りつくしてしまった様に見える。」
「黒田氏は2013年3月に日銀総裁に就任し、日本を10年以上にわたり賃金と価格の負の連鎖で苦しめてきたデフレから跳躍させるためにあらゆる手段を取ると誓った。彼は、次から次へとバズーガを放った。それはまるで市場を彼の前に跪かせることが出来る様に見えた。株式は上昇し、円は沈み込み、安倍首相の経済成長プログラムであるアベノミクスの重要な成果をあげた。」
「しかし、日銀が2週間前に導入した預金者に手数料を課すマイナス金利政策、これはうまくいかなかった。この政策は日銀が過去3年間にやってきたことが失敗だったことを印象づけるだけだった。日本経済は不振のままで、黒田氏が設定した2%のデフレ目標は現実から程遠く、金融政策やアベノミクスの運命について懐疑的な見方が広がっている。」
「グローバル市場は動揺しており、それは彼の計画がうまくいっていないことを示している。日経平均株価は金曜日に4.8%下落、1週間で11%下落したが,、これは2008年10月以来最悪だ。円は15ヶ月ぶりにドルに対して高騰したが、これは日本経済にとっては悪いサインだ。」
「黒田総裁にとっては不吉な進展だ。彼は日本の長期にわたるデフレとの戦いを、経済的な病気というより、心理的な不調だと見ている。彼の日銀総裁としての仕事は、中央銀行員であると同時に、心理学者でもある。彼の仕事は自信を植え付けることなのだ。最初から多くの人々が彼は不可能なことをやろうとしていると言ってきた。デフレから逃げることが難しいのは非常に難しいし、何年にもわたる政策の失敗によりデフレはすっかり日本に根付いてしまっている。」
「昨年の夏、彼はその仕事を表すのにおとぎ話を持ち出した。」
「『私は皆さんがピーターパンのお話しをご存知だと思います。そこでは、人は飛べないと思った瞬間に、一生飛べなくなるのですと言っています。』と6月に黒田氏は語った。『そうなのです。我々が必要なのは必ず出来ると信じる態度です。』」
「金曜日に議会での質問に答えて、黒田氏はマイナス金利が株式市場下落の原因だとする主張を打ち消した。マイナス金利は、より広い範囲で金利低下をもたらし、安くお金を借りることが出来るようになる。」
「彼は、グローバル市場の不安定さを指摘し、マイナス金利は予想通りの効果を生んでいる。国債金利が短期、長期共に下がっていると述べた。」
「黒田氏はまた中央銀行が弾切れだとする考えを繰り返し否定した。政策に限界は無いと言う。」
「『もし現在の現在のやり方が目標達成に十分でないと判断されたら、我々がやるべきことは新しいやり方を作り出すことであり、達成を諦めることではない。』と彼は述べた。」
「彼の経歴をみると、最新の金融政策を実施するための準備が出来ていた様にみえる。1967年に東京大学法学部卒業後、大蔵省に入省し、36年間で国際金融局長まで上り詰めた。」
「彼は長い間日銀を批判し続けた。80年代後半金融緩和政策でバブルを招いたことや、その後あまりに急激に金融引締め政策をとったことも、彼の批判の対象だった。」
「財務省で、彼は2000年代の終わりに市場介入による円安誘導をみてきた。そこでは14兆円(1,245億ドル)支出し、海外からの批判にさらされた。」
「彼は、2003年に大蔵省を退省し、マニラにあるアジア開発銀行の総裁に2年後に就任した。この経験と、英語の巧さ、海外の金融界の大物達との交流により、彼は、安倍首相が重要な役割という、日本の大胆な政策を世界に説明するという役割を担う準備が出来たのだ。」
「彼はウォールストリートジャーナルに、十分に大胆でないことをするよりは、大胆なことをして後で調整していく方が良いということを学んだと語った。」
「『大胆な論理をもたねばならないのです。大胆ではなく、常に正しい論理は役に立たないのです。』と彼は言った。」
「円安に誘導しようという彼の努力の初期に、黒田氏は金融市場とうまく会話が出来るという評判を勝ち取った。しかし、日銀総裁として、彼は投資家を驚かせることに重きを置いた。2013年4月に最初の景気刺激策を導入した時、投資家たちはそのスケールの大きさに驚いた。2014年の2回目の導入時にもみんな驚いた。」
「同様に、黒田氏は日銀がマイナス金利を導入することを、繰り返し否定してきた。導入を発表するその瞬間まで。」
「『もし市場がゆっくりした政策変更を許容すなら、市場の反応もゆっくりしたものになるでしょう。』と黒田氏は自信を持って語った。」