Wednesday, May 1, 2019

神が世俗と出会う場所【A13面(文化面)】

49日から630日までオハイオ州のクリーブランド美術館で「神道-日本美術における神性の発見」展が開催されているが、WSJはこの展示会について51日の文化面(LIFE&ARTS)で取り上げた。


 【要約】長い間かけて日本人の中に定着した神道は、非常に複雑な側面を持ち、簡単には理解出来ないとしている。その上で、この展示会では、神道と「庶民」の係わり合い、「貴族」との係わり合い、「他の宗教」との係わり合いが、順路に従って展示されており、神道を考える上で必要となる基礎的な知識が理解出来ることを報じている。

***** 以下本文【WSJ記事全文和訳】*****
クリーブランド美術館で開催されている展示会「神道-日本美術における神性の発見」を見終わった人は誰でも、元気に溢れた祭りの様子から神を思い起こすイメージまで、凄い作品たちとかかわったと感じていることだろう。これらの作品の中には重要文化財に指定されているものもあり、多くは日本からの貸与品だ。そして多くの作品が神への尊敬と結びついている。これらの作品は、10世紀から、政府が神道を国家宗教だと宣言した1868年までのものだ。日本が長い間かけて積み重ねてきた神の道は、簡単に定義することは出来ない。それは素晴らしいことだ。
米国の美術館は、日本美術の収集品の中に、神道に関する作品を入れることが多いが、この日本の土着宗教ともいえるものに特化した展示会は珍しい。このテーマは、とても大きく扱いにくいものだ。しかし、クリーブランド美術館の日本美術の主事であるシネッド・ヴィルヴァーは、崇拝者と神の係わり合いにフォーカスすることによって、基礎的な知識が理解できるようにアレンジしてくれた。もと神は、もともとは自然の精神的な力として考えられていて、神は石や木などに宿っていた。6世紀半ばの仏教の伝来に影響を受け、神を人間の形をした像として彫り始め、10世紀までには、農業や記念行事に合わせたお祭りのスケジュールが確立していた。そうした行事は、仏教の寺や、神のための家とも言える神社などの神聖な建物で行われた。
こうしたお祝い行事は、最初はショーだった。そして、絵や美術品から見てとれる様に、神を喜ばせようとする一方で、世俗的な楽しみにもなっている。例えば、17世紀の2枚の屏風の前にしゃがみこむと、ちょうど目の前で、組み合っている相撲力士や、もがきながらも馬に跨る人や、ドラマチックなポーズをとる着物を着た役者を見ることが出来る。少し近寄って役者の顔つきを見ると、酔っ払って一歩ごとに飛び跳ねる客の赤くなった顔つきをからかっていることに気づくことが出来る。
この祭りの雰囲気に満ちた色とりどりの喧騒は、やわらかく描かれた2つの屏風に歩いて近づくにつれて、消えてしまう。1つは15世紀前半、もう1つは16世紀のものだ。どちらも鹿が雲の断片に立って、頭を上げて、肩からこちらを見ているところを描いている。その鞍からは、5の仏教徒が描かれた金の玉を高く掲げる木の枝が伸びている。この優美な動物が力強い神の乗り物だということを知らなくても、我々は、現世から神の領域へ渡っていることに気づくのだ。端っこには、木の彫像で満たされた空間がある。しかし、このショーのレイアウトは、まず最初に神と仏教の神、力強い貴族たちとの関係を描いた部分へいざなう。
例えば、鹿は14世紀の仏陀の遺品を含んでいると主張されている整骨箱の中にも再び現れる。17世紀の屏風には悪口によって引きずり下ろされた尊敬されていた貴族も取り上げている。図に示されている様に、彼の怒りはとても強く、死後、強力な神である天神になってもその怒りはおさまらない。このことを頭に入れておくと、我々は、彫刻展示室の中央にある像が、彼であることにすぐに気づく。現実的で印象的な美術として知られた時期である1259年に彫られたこの「座った天神」は、口をへの字に曲げ、鼻の穴を大きく開き、眉毛がくっついてチェックマークの様になっている。眉毛の下で、目はレーザーの様な鋭さで睨みつけている。3週間後には、一部の作品が入れ替えられるが、その時には1261年の同じような天神が展示される予定だ。
物理的にも感情的にも、彼は他の神像よりも大きい。神像とは神が宿るもののことだ。これらの神像は全て2フィートより小さく、自己充足していてよそよそしい平穏さを発している。これは適切だと思う。何故なら、礼拝者は、離れた広間から、礼拝し、願いことをお願いするからだ。神道はもともと精霊信仰に根ざしているので、時間と共に、神像の表面が取れて木が剥き出しになっているのも、違和感は無い。これにより、神像は統一した外見に見える。しかし、1つだけ10世紀の彫像は仏教の僧侶の様に見える。彼は、八幡だ。八幡とは、菩薩となった最初の神だ。12世紀の軍人の彫像は、神像の様だが、1つの木を彫ったものだ。彼は、神秘的な占いのシステムと結びついている。
ここから先は、信仰の絡み合いが強まる。神は巡礼者を受け入れるだけでなく、巡礼の旅に出かけることもしていた。17世紀の日枝山王祭りの巻物を描いたにみられる様に、神は、籠に乗って旅をしていた。人気の目的地は山だった。16世紀から17世紀初頭の大きな巻物に描かれた神格化された滝が示す様に、山はそこに住む神ゆえに崇められた。禁欲的な宗派である修験道の創設者である縁の行者も山を崇拝していた。13世紀の彫像は、彼が聖なる言葉を唱えているところを描いている。同時代の彫像は、縁が山を守るために呼び集めた恐ろしい仏教の神を描いている。

最後の展示室は、神が仏教と関係する他の方法を示す作品で占められている。幾つかの絵画は、特定の菩薩と仏陀の関係について描いている。しかし、ここにも修験道と道教が現れる。我々が、神道を、今まで無かった様なきちんとした静的なパッケージにまとめようとする衝動を阻止するのだ。